そのアパートの5階には、住民だけが使えるトレーニングルームがある。魅力的なトレーニングマシンの数々。これらが全て無料で使えるのだ。このアパートに住む多くの住民がそのトレーニングルーム目当てで入居している。休日ならいつだって混雑は避けられない。
だがこの日は違った。いつものようにトレーニングルームに足を運んだボブは、部屋の前で顔をしかめた。
「くさい…」
部屋の前に充満したその臭いはあまりに強烈だった。汗臭さに慣れているボブであっても、その臭いに耐えて運動することはできそうになかった。
トレーニングルームの中では一人の男が、片手で100キロのバーベルを上下させていた。
一回バーベルを持ち上げるたびに、汗と臭いが部屋を満たす。その男の目は怒りに満ちていた。
「ナットウマン、コロス!!!」
グリーンドリアンの咆哮がアパートに響き渡った。
ナットウマンは夜の街を駆けまわっていた。これだけではいつものナットウマンである。しかし今日のナットウマンは一味違った。乗り物を手に入れたのである。銀色のフォーム、ステンレス製のハンドル、そしてブリデストン製の高級タイヤが備え付けられた自転車にまたがるナットウマン。チリンチリンといい音が鳴った。
ナットウマンはある人物を探していた。先日ピータンの臭いをまき散らしながら街を破壊したあの男である。ナットウマンは街を破壊したという汚名を着せられたのが許せなかったのだ。まあナットウマンも自覚は無いが、撒き散らしたネバネバで自動販売機が壊れたりしているのであまり差は無いのだが。
ナットウマンは深呼吸をした。右の方からかすかにピータンの臭いがする。自身からも強大なにおいを発しているナットウマンは知らず知らずのうちに鋭い嗅覚を手に入れていたのであった。
「そこだああ!!!!!!!!」
突然ナットウマンは叫び声をあげた。ピータンの臭いの発生源が、ついに目の前に現れたからだ。
「食らえ!!ナットウサイクル!!!」
ナットウマンはそう叫ぶと自転車から飛び降りた。無人の自転車がピータン男の方へ突っ込んでいく。普通に考えたらナットウマンの方が怪我をしそうであるが、全身をネバネバが覆っているナットウマンは、多少の衝撃なら無効にできたのだ。
ガシャンと嫌な音が響く。ナットウマンがピータン男の方を見ると、無人の自転車はピータン男のすぐそばに立っていた別の男にぶつかっていた。
男がゆっくりとナットウマンの方を見た。そこにいたのは緑色のあの男、グリーンドリアンである。
「お前かぁああああああ!!!!なっとうむぁあああああん!!!!!!」
怒りの炎が身を焦がす。グリーンドリアンは持っていたドリアンを全力でナットウマンの方にぶん投げた。
ドリアンの重さは大体1〜5キロで、その殻は非常に硬く、しかもトゲトゲで覆われている。そんな物が剛速球で飛んでくるのだ。いくらネバネバで覆われているナットウマンでも久しぶりに鳥肌が立った。
だがドリアンはナットウマンから大きく離れた地点に突き刺さった。グリーンドリアンはコントロールが悪かったのである。
ナットウマンは改めて状況を確認した。ピータン男にグリーンドリアン、そして自分。興奮していて気づかなかったがあまりにも強烈な臭いが漂っていた。周囲の住民は翌日、入浴対武事新聞社の取材に対して口をそろえて言ったらしい。『昨日の夜は息ができなかった。本能的に家を出て逃げた。そのおかげで助かった。』と。
ピータン男の本名はマイケル。幼いころからピータンを食べ続けた結果、何もしなくてもピータンの臭いを発するようになった。その臭いのせいで今まで友達ができたことはない。一度嗅覚がバカになっていた40代の女性に優しくされたことから、熟女を愛するようになった。熟女に対する執着はただならず、どんなに死にかけても熟女のことさえ思い出せば必ず生き返る、そんな男だった。そして今マイケルは、自分を一度死に追いやったグリーンドリアンに対する復讐で煮えたぎっていた。
お分かり頂けたであろうか。このあまりにもカオスな状況を。
グリーンドリアンはナットウマンに接近し、大粒のドリアンをぶん投げる体制に入った。この距離ならいくらコントロールが悪くともナットウマンにドリアンを当てられるだろう。
ナットウマンはマイケルの方に指を伸ばした。この状況ならいつでもマイケルの口内に菌糸を飛ばすことができるだろう。
マイケルは腐った卵を口に含んで、息を大きく吸い込んだ。この呼吸法なら的確にグリーンドリアンの顔面に腐った卵をぶつけられるだろう。
三人の時間が止まった。先に動いた奴がやられる、そこにいた誰もがそう思った。
突如風が吹いた。風に巻かれたビニール袋がふわりとグリーンドリアンの顔に当たった。
刹那、グリーンドリアンのドリアンが弾丸のように発射。一瞬にしてナットウマンの脇腹に衝突。コンマ数秒後に訪れるであろう痛み、その痛みをナットウマンの脳が生み出す前に、ナットウマンの指から菌糸が放たれた。その菌糸がマイケルの口に届くコンマ数秒前、マイケルの口から腐った卵を飛び出した。卵と口をつなぐ唾液の関係が途絶えると同時に口内に入り込む新たな関係。その味をマイケルの脳が生み出したとき、グリーンドリアンの顔面に腐った卵が命中した。
「「「おええええ!!!!」」」
三人は同時に吐き気を催した。ナットウマンは脇腹の痛み、グリーンドリアンは腐った卵、マイケルは鼻を貫く納豆の刺激が三人の胃袋を活発にした。
三人はとっさにトイレを探す。トイレはあった。ナットウマンの後方100mのところに。
振り返るナットウマン。助かったと走り出す。だがその足取りは重かった。ナットウマンの吐き気は物理的ダメージによるもの。早くは走れない。一方、マイケルとグリーンドリアンの吐き気は生理的なもの。肉体にダメージは無かった。
走り始めたときには最もトイレに近かったナットウマンも、トイレに着く頃には二人に追いつかれており、三人は同時にそのトイレのドアを開けた。
「う〜〜トイレトイレ」
今トイレを求めて全力疾走している私は研究所に勤める至って普通の研究員。強いて違うところをあげるとすると26歳独身でこの前自分のいた研究所が潰れたってことかな。
まあ研究所が潰れたけれど運がいいことにすぐに違う研究所に拾われた。今私がやっている研究は納豆菌なんてよくわからんものじゃない。石油によく似た物質を生み出すM-0116菌の研究だ。研究は順調、といいたいところだが実はあまりうまく行ってない。そういう訳で今日は徹夜で研究にあたっている。
そんな私がどうしてトイレに向かっているのかって?実は大事な資料を忘れたのでいったん資料を取りに帰宅したら、突然腹痛に襲われたんだ。きっと昨日食べた生ハムにあたったんだろう。みんな、生ハムはちゃんと火を通して食べような!
ふう、やっとトイレについた。この辺にトイレはここしかない。危ないところだった。
ズボンを脱いで便器にまたがる。うーん冷たい。まあ仕方のないことだ。暖かい便座がいいのなら公衆便所なんかでするもんじゃあない。ところでなんかくさいな。トイレの臭いか?いやそれにしてもくさい…
その突如トイレのドアが勢いよく開いた。このときはじめて独身研究員は自分がトイレの鍵をかけ忘れていたことに気づいた。トイレを覗き込むのは三匹の化け物。それも今すぐ吐き出しそうな顔で。
暗転―
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